更新期間空きましたが、私は元気です。生きてます。 TwitterやInstagramでよく気ままに自由に呟いているので、よかったら右上のメニューからご覧ください。 今回のテーマは、
です。 日本刀に本格的にハマる頃に、
1.「折れず、曲がらず、よく切れる」とは?
まず日本刀についてよく言われることは、「折れず、曲がらず、よく切れる」
です。折れず
日本刀は、製法的に主に皮鉄(かわがね)・心鉄(しんがね)の2層構造になっています。硬い皮鉄が軟らかい心鉄を覆っており、内側の心鉄が衝撃を吸収しています。
この2層構造で、衝撃を受けても折れにくい性質になっています。
つまり、日本刀の登録証が発行されるためには日本古来の製法で作られている必要がある以上、現存している刀は折れにくい製法で作られています。
以上より、『折れず』は名刀の条件ではなく、日本刀の前提条件とします。
曲がらず
力学的にみると、日本刀は「曲がるが折れにくくよく切れる(『日本刀の科学』より抜粋)」のだそうです。
柔軟な心鉄があるために、衝撃による曲がりが生じにくいようです。
ただ日本刀の場合は曲がるといっても、心鉄がない構造の西洋の剣やただの鋼鉄に比べると曲がりにくいのは確かのようです。
この辺の力学的な説明とか考証をしている本を一冊ご紹介します。 数学とか物理とか苦手過ぎる私でも読みやすかったです。
数式や記号の意味が分からなくても解説が充実してるのでなんとか読めました。
なぜ焼き入れで刃だけでなく全体に土を置くのか?やなぜ反りが生まれるのか?という説明もされています。
「峰打ちは本当にあったのか?」「竹製の目釘はなぜ折れないのか」というページもあり、とても読み物として面白かったです(^∨^)
日本刀の製法であれば、武器として使用しても他武器ほどは曲がらないため、『曲がらず』も前提条件とします。
蛇足ですが、大般若長光は関東大震災の折に刀身が曲がってしまった経験があります。
よく切れる
刀の切断能力などの説明は上記の本でもされているので、科学的なことではない方面からの考察です。
平和な時代(江戸)には山田浅右衛門などにより罪人の試し斬りなどもされていたようですが、
これは鐔を重くして重さで叩き斬っているなど、純粋に刀そのものの切れ味と言い切れないそうです。
(あと、使い手の技量によるものも大きいと思います。)
また、数打ち物(実戦用に大量生産したもの、美しさは二の次)が多く出回ったあとの時代でもあり、
町人の護身用などの用途で民間にも多く普及していました。
なので、この時代の刀は美しさよりも特に切れ味をセールスポイントにしていたようです。
私は多分その影響で『刀は切れ味重視!』みたいな印象を持っていた感じがします。
笹ノ露、篠雪、朝嵐、籠釣瓶(かごつるべ)
などの表現があります。
意味はとにかく、響きが美しいなと思います。
また、日本刀は木屑でも砂ぼこりでもヒケ(傷)がつきます。
日本刀同士の打ち合いではもちろん、硬いものにあたるだけで容易に欠けます。
傷ついたり欠けたりして、研ぐと再び美しくはなりますが、皮鉄が薄くなってしまいます(研ぎ減り)。
要は美しくはなるけれど、完全に元通りになるわけではありません。
戦国時代以降日本刀が贈答や褒章用として利用されていた歴史背景があり、刀が損なわれていないことは重要でした。
なので、メインウェポンが日本刀でない時代(戦国時代以前)につくられていた刀や贈答に重宝されていた刀、美術刀剣は、戦場で使われていないと思われます。
推論が多いですが、以上より「よく切れる」かどうかは名刀としての判断要素にならないと考察いたします。
以降、「折れず、曲がらず、よく切れる」は日本刀であるための前提条件であるものとして話を勧めていきます。
2.現代の日本刀で重視されることは?
1.で、江戸時代あたりでは切れ味が重視された、という話を少々しました。 では、現代では何が重視されているのかを考えていきます。
①健全さ
よく日本刀の保存状態などで耳にするのが、健全さという表現です。
- 保存状態がよく、錆や傷がない(元の姿を保っている)
- 研ぎによる皮鉄の減りが少ない(=肌が疲れていない)
- そもそも本物である
であるようです。
(磨り上げ・在銘・無銘の評価や扱いは後述します。)
②は、例外的に備中の青江派(地斑映り)や山城の来派(来肌)のように、
心鉄が表層にでてくることを特徴とした流派も存在します。
すみません
たとえば姿で言えば、
『これは研ぎ減って地鉄がでてしまった●●です』
みたいに全くかすっていないこともありました(´・ω・`)
心鉄の見方はなんかこう、刀の表面の中に印象の違う部分があるかなって感じです。
(来だと心鉄が出ている真裏の肌がとても美しいです。
また、青江派だと心鉄は指でぽんぽん押した感じで点状に現れます。)
ちなみにですが、
じゃあ、新刀や新々刀とか新しい時代の刀なら健全じゃないの?
と思うじゃないですか。
古刀はもちろん、新刀・新々刀期の刀でも偽物はごろごろしてるそうなので、
間違ってほしくない
箱推し民
私は日本刀にそんなに詳しくないのでパッと見て鑑定できない素人ですが、あからさまに変な文章とかもあるので…。
結論としたしましては、
日本刀の評価として『健全さ』は重要、
そしてご覧になった刀が健全かどうかは刀屋さんや刀匠さん、美術館の方など、信頼できる専門的な方にお尋ねするといいと思います(投げました)。
②磨り上げ・在銘/無銘
①の健全さの項目で『磨り上げられて姿が変わったもの』は除外と説明したので解説をば。 個人的主観で申し上げると、
これはあくまで姿の問題なので
いい刀かどうかはまた別の問題。
磨り上げによって姿が健全でないとしても、よくない刀になるわけではないので、分けて書かせていただく次第です。
A.磨り上げ
審神者諸氏の皆様には今更の用語ではありますが、簡単に解説いたします。
馬上戦が主だった鎌倉時代など中世はリーチがないと敵の馬上へ刃が届きませんでした。
時代が進み戦国時代のように徒歩戦が主流になってくると、馬上戦時代の長さの刀はそのままでは長すぎて使いにくくなります。
ときに、鎌倉時代ごろに封建制度が崩壊(蒙古風来後『褒美の土地をあげようね~』ができなくなったため)したこともあり、日本刀は褒章や贈答の品として使われることが多くなりました。 結果、
⇒帯刀して誇示しよ。
⇒でも長いな…。持ちにくい。
⇒短くしよ。
こうして刀を短くする『磨り上げ』が起こりました。
織田信長170㎝、
豊臣秀吉140㎝、
伊達政宗159㎝、
男性の平均身長は154cmくらいだったそうです。
例えば三日月宗近だと刃(刀身)の部分だけでも80㎝近くありますので、
身長に対して太刀って長かったんだなあって。
磨り上げの必要性があった時代(戦国~江戸初期)以降の刀はそもそも磨り上げの理由も利点もないので、新刀以降は基本的に在銘と考えていいと思います。
B.在銘/無銘
もともと日本刀には作者の銘を入れる決まりがあります(701年の大宝律令です)。
そうしてなかご(茎・中心)に鏨(ノミみたいなやつ)に名前を刻みます。
上記の磨り上げなどにより、銘の部分がなくなってしまうと『無銘』になります。
また、現在も銘が残った状態で伝わっているものは『在銘』の扱いです。
例外的に、そもそも在銘が確認できていない刀匠もいます。 正宗、貞宗、郷義弘が有名どころです。
C.磨り上げしている刀と、していない刀と、どちらがいい刀なの?
A.で説明しているように、名刀と評価高いからこそ磨り上げた刀剣が多いです。
その一方で、わざと磨り上げて無銘にして「実はこれはさる有名な●●です」みたいに偽る場合もあります。
あの手この手
なんでもあり。
日刀保の鑑定ですら元とは別の刀匠に鑑定されることもあるので、
鑑定はとかく難しい(´・ω・`)
比較苦手侍と申す
・同一刀匠である
・同一刀匠でも初期作か晩年作か
・長さ(定寸か)
・来歴
・刀としての美しさ
・作風(その刀匠の典型的な作風か否か)
ぱっと思いつくだけでもこれだけ。
全部揃えないと単純比較できないし、日本刀はそれぞれが唯一無二なので、基本比較はできないです><
D.在銘と無銘と、どっちがいいの?
C.と内容は若干被りますが、解説です。
本物ならば、基本、刀匠本人が入れた銘が残っている刀の方が無銘のものよりも評価は高いです。
偽銘(有名な刀匠の名前を入れる、有名な刀匠の刀の茎と挿げ替える)などもあるため、無条件に在銘なら安心とは言い切ることができません。
E.CとDまとめ
在銘無銘は、在銘の方がより理想的。
※ただし本物に限る
●●家伝来みたいな来歴持ちで、名物で、
古刀でうぶ茎で在銘で健全で、
さらに有名な刀匠の本物だと、
軽く特別重要刀剣とか重要文化財とか国宝とか軽く肩書がつくと思うので、
日本の人口と同じくらいの諭吉さんとサヨナラバイバイする覚悟がいると思います。
ちなみに1939年国宝・大般若長光の売買時に提示されたのが約1億2000万円。
瀬戸内市の一文字の国宝・山鳥毛(上杉三十五腰の一振り)購入のクラウドファンディングの目標額は5億。
(山鳥毛は無銘)。
無銘でも在銘でも名刀はあるなあって。
長い②をまとめると、
磨り上げや在銘無銘も大事な要素ではあるけど、 名刀であるために絶対必要なものではありません。
③著明な刀匠や業物とかが名刀?
結論から申し上げます。そうでもないです。
著明な刀匠でも、作品の評価の高いものから低いものまで振れ幅が大きい方がいます。
なので、著明刀匠さんの良くない出来のものよりも、あまり耳に馴染みのない刀匠さんの良い出来の方が美しい、という場合も多々あります。
また、業物、大業物といった切れ味に関する評価ですが、これは刀匠さんに贈られた称号の一つと考えて大丈夫かと。
『最上大業物・長曽袮虎徹』と展示されていても、 その刀剣自体の切れ味ではなく、
その刀匠さんの作で試し斬りをして最上大業物と評価できる切れ味のものがあった、という意味です。
また、業物などを決めている古今鍛冶備考という本では、
試し斬りで使った刀は新刀期(江戸時代の刀)のものなのでそれ以前の時代の刀には業物などの評価は無縁です。
また、享保名物帳に載っているものが名刀か?という疑問もあります。
これらは特に贈答用・褒章用としての価値が高く、代々大事にされてきました。
その歴史的価値は計り知れないでしょう。
権力者たちが価値を見出してきた刀である、
そういう意味では、享保名物帳に載っている刀剣(名物)は名刀と言っても差し支えないと思います。
ファンタジー。
刀剣乱舞とか剣が刻とか刀使ノ巫女とか、
ゲームやフィクションの題材として上がりやすいので
日本刀に興味がない方への知名度は高めに思います。
総括・日本刀が名刀かは、美術的価値や歴史的価値で判断したい。
長くなってしまったので、ここらでまとめをば。
日本刀は現在は武器としての用途がなく美術品であるため、名刀とは
いかに過去の姿に近い状態で現存しているか、
いかに美しいか
で判断するのがよいとおもいます。
また、名物と称される刀剣や重要文化財などの指定を受けている刀剣も、
歴史的価値や資料的な価値を含むものも多分にあります。
これらも名刀であると考えます。
終わりに
「名刀とは?」で長々と拙い話にお付き合いいただきありがとうございました。 個人的に名刀とは、
正直に生きたい
と考えている節があります。
日本刀は、現存してくれているだけで尊いので好きです。
日本刀は手入れをしっかりすれば1,000年単位でもつのだそうです。
一振り一振りの語られない物語がとても愛おしく思います。
苦戦した
本当に刀が好きな人間なら、
好きな刀のいいところをいっぱいみつけられるようにがんばるべき。
お付き合いありがとうござました。
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